ひどい雨だった
男は車から降りると、駆け足で店に転がり込んだ。
少しの距離だというのに、もう、全身ぐしょぐしょだ・・
店は国道沿いにポツンとある喫茶店。
ド田舎よろしく、だだっ広いスペースに客は彼を覗いてのただの一人。
こんな土砂降りの平日の午後だ。客がいること自体が珍しいのかも知れない。
アットホームな造りにけだるい音楽
ドアのしゃらんとした音に気がついて、奥からウェイトレスがやって来る
年老いた彼女は愛想のひとつも寄越さずにタオルを渡すと注文を聞いた
男はにっこりと笑ってコーヒーとアップルパイを頼む。
タオルが水で重くなった頃に彼女が2つを持って来て、すぐに奥へと引っ込んだ。
男はコーヒーで身体を温めながらアップルパイをひとくち口に放り込む
・・・・・・意外な程にうまかった。
どうやらここの流儀は、”かってにゆっくり過ごしなさい”というものらしい。
斜め向かいに座る男も、ゆったりとタバコをくゆらしながら絵を描いていた。
曇り空から降り落ちる激しい雨音とひっそりとした山の景色
それとは反対に、暖かな人の気配のするカントリーの喫茶店。
これは悪くないな・・・
昔流行った歌の甘く切ないバラードを聞きながら、男はゆっくりとコーヒーを飲んだ。
『〜〜♪〜ついでに話した愛のこと そして、傷つくお前の心・・・ 』
パイがひどく旨かったのでコーヒーを入れに来た彼女に食事もついでに頼んでみた。
案の定、食事も悪くない。ここは隠れた名店なのだろう。
クランベリーソースに舌鼓を打ちながらデザートを堪能しているとシャッシャッという音が耳に入った。
斜めの男だ。
彼は絵に熱が入ったのか、激しく黒炭でスケッチブックをこすっていた。
時々、左手の中指にグラスの水を付けてスケッチをなぞっている。
・・・・・そんなことをして後で怒られないものかな?と男は思う
その水は飲むために置いてあるのだし。
食後のコーヒーを飲みながら男は絵を描く男をこっそり眺めた。
年は二十歳を過ぎた頃だろうか?ティーンに見えなくもないが物腰が上等すぎる
なかなかに鮮やかな赤毛。瞳も綺麗な紅茶色をしている・・・
どちらかというとほっそりした体躯は、大人に完成するちょっと手前といった感じだ。
明らかに自分の好みでは無いはずなのになんだか胸が高鳴ってしまい、少し動揺する。
「絵に興味があるんですか?」
突然掛けられた声に驚いて表情を無くした。
今、声の主を、不埒な妄想に引き込んでいたからかも知れない。
だが、赤毛の男は人なつっこそうな笑みでタバコで一息入れながら見つめ続ける。
男も、やっと自分を取り戻すと笑みを浮かべて返事をした。
「いえ、残念ながら。だけどとても熱心に描いているものだから・・つい。」
男は何気ない言葉を口にしながら、その事で自分が高揚しているのに気付いて心底驚いた。
・・・・こんな事が、”あのとき”以外で起こるなんて生まれて初めてだ!
妙に唇が乾いて、ソースを舐めるふりをして唇をぬぐった。
「あ、すみません。描く音うるさかったですか?」
いえ、そんな事は無いです。と彼を見ながら微笑んで、男はある事に気づいた。
「貴方はこちらのお家の方なんですか?車、無いですよね・・・?」
先程から眺めていた広いパーキングには自分の車がポツンとしかない。
ここはとても山深いし近くに民家があるようにも思えない。
そう訪ねると赤毛の彼は照れくさそうにはにかんだ
「違うんです・・ここにはタクシーで。 待ち合わせだったんですが、すっぽかされちゃって・・」
「え、ああ、じゃあその人の車で出かけるつもりだったんですか。」
「ええ、でも雨も凄いし、少ししたらタクシーを呼んで貰うつもりが長居しちゃって。貴方は何処かへ行く途中?」
「はい、友人の所へ行く途中です。・・ついでにゆっくりドライブでもしようと思って」
・・・・・嘘だった。
ついでは友人宅で、ドライブが”本当”の目的なのだから。
「そうですか、楽しい旅になるといいですね。」
彼の優しそうな声に男は心を弾ませた。
本当に、楽しいとびきりの一日になるかも知れない・・・・!
なんだかそわそわする気持ちをなだめて、男は彼に相席を求めた。
そう、良く心得た教訓。とっておきの時間を楽しむ為には慎重に、慎重に・・・
目を丸くした赤毛の彼に
「こんな寂しい景色だと、人が恋しくなってたまらないんです。」と、
冗談と本気を入り混ぜた言葉を交えて緊張をとかせた。
彼は、そうですか。と笑ってコーヒーと閉じたスケッチブックを持って男と向かいに座った。
「何を描いているんです?」
間近で見る彼の顔は童顔で、男の情欲を誘った。
いつもはもっと幼くないと興味も湧かない筈なのに不思議だ。
「ないしょです。」
優しい笑顔にドキリとする。
そういえば彼からは男らしさを感じない。
どこか、ユニセックスな感のある彼をとても好ましいと思った。
「じゃあ、待ち合わせは恋人?湖でも眺めながらデートですか?」
瞳を縁取る沢山のまつ毛も鮮やかに赤い。
ぽってりした唇や頬、シャツから覗く鎖骨が妙に色っぽい
「ないしょ・・・」
「・・・・・恋人って、彼女ですか?」
つい、調子に乗っていらない事を聞いてしまった。
普通、ありえない質問だが、口にしてしっくり来た。
彼は”そういう男”が好みそうなフェロモンを出している・・・。
気を悪くしただろうかと伺い見ると
彼は一瞬驚いた後すぐに意地悪く笑って
「それも内緒です」と人差し指を口に当てた。
ふわりと香る、彼の清潔そうな薫りに興奮が高まった
「ずるいですよ、全部内緒なんですか?」
「だって、男だって言ったら、貴方気を悪くするでしょう?」
―――――ゴクリとのどが鳴った。
これは初めての経験が出来るかも知れない・・
どうせ、ここでうまく行かなくとも強引な手段で行えばいいと思っていたが相手は大人なのだ。
小柄とはいえ今までとはかってが違ってくるだろう。合意にこした事はない
・・・容姿にそんなに自身は無いが、悪くは無いと思う
「・・・じゃあ、男?」
彼は口元だけで笑んで男を黙って見続けた。
「では、私が彼の変わりに送ると言ったら?」
赤毛の彼が表情を消して席を立った。
男は失敗したな、と苦い気持ちに瞬間なったが、
「出よう、この辺に不慣れだろ?案内するよ。」
その言葉に、頬をひどく熱くさせた。
***
激しい雨音の中、車のシートで興奮を高め合う
彼に教えられて来た先は山間の誰も知らないような森の中
もうすでに闇に染まった真っ暗な森を、車のライトが照らし映すのは雨の筋ばかりだ。
「ふ、うん・・」
舌っ足らずな甘い声に止めどもない興奮が湧き上がる
触れられてもいない下肢が熱く脈打って堪らない
この分じゃ、トランクにある”あのセット”も必要無いのかも知れない・・
彼の身体の中心に手を這わせると自分と同じ様に張り詰めていたのでひどく嬉しくなった
もしかして、このまま彼と繋がれるのではないかという期待に手が震えた。
「まって、俺もしたい・・・」
彼が私のシャツを剥ぎながら丁寧に唇で身体のラインを辿っていく
彼の赤毛が燃えるように美しくて、そしてとても愛しくなった
もしかしたら、一生彼と睦み合いながら生きていけるかもしれない・・・
穏やかな生活への期待感に、早まる胸の鼓動のままに、彼を眺めた。
ああ、彼と繋がる事が出来たなら、それは世界と繋がれた事と同じ・・
愛しくも愚かな妻と別れる算段まで考えていたその時だった・・・
「み〜つけた」
彼の、まさぐっていた唇が左下の肋骨にたどり着いたときにあげた、子供っぽい声を私は一生忘れないだろう
シートからずり落ちたスケッチブックから数枚の絵が視界に入って、その、絵の内容に驚愕する。
上目遣いに覗かせた紅茶色の瞳が、ルビーの様に赤くて
頭の片隅で、それを最後に目にしたのがとても幸せに思えた。
***
ひどい雨だった
だが、この雨がつまらない手間を省いてくれる事だろう。
自分よりも大柄な男を森の中へ引き出して
例の場所を確認すると 思いっきりナイフを突き立てた
頭の中に歌が聞こえる
ああ、待ってくれよ、・・・今一人、やっと終わったばかりじゃないか・・・
だが、音は鳴りやまない
だんだん大きく鳴る音と、
だんだん大きくなる狂気に頭が支配されてゆく・・・
(光のなかで・・・みえないものが・・・・)
ざくっ
(・・・・闇の・・・・中に ・・・うか・・んで・・・・・みえる・・・ )
ザクザクザクッ
ザアザア降りそそぐ雨の中
赤毛の男は狂った様にナイフを振り上げる
いつしか声を張り上げて叫んでいた
『・・・・真っ暗森の・・・闇のっ・・・なかで・・はっ・・・』
ザクザクザクザクザクザクザクッ!!!
『昨日は明日』
荒い息を吐き終わると、そう呟いて車に腰を掛けた
全身血まみれだが、すぐに雨が流してくれる。
無性にタバコが吸いたいな、と思ったがこの雨では無理だし
次の作業に影響が出てしまうのにも困りものだ。
そう、作業は慎重に、慎重に・・。 そして時には大胆に。
そこまで考えてから、ふと頭に浮かんだ歌詞を思い出してちょっと笑った。
『真っ暗・・・クライ、クライ♪』
アムロはにっこりと笑って、
ぐしゃぐしゃの死体に歌いかけてから一息ついた。
END
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