足音
家を出て暫く歩いてから、ひろゆきはその異変に気づいた。
ゆっくり歩いてピタッと止まると、ざりっと自分ではない足音が一つ鳴る。
それも、すぐ後ろから。
背後に懐かしい気配が感じられてじわりと目頭が熱くなる
今すぐにでも振り返りたい気持ちをグッと堪えて、ひろはまた歩き出した。
そう、振り返っても何もないことは分かり切っている。
だから自分は振り返らない。
ただ、あるがままを、それだけを信じ、感じればいいのだ。
気合いを入れてひとつ呼吸を噛みしめる。
今日は 勝負の日なのだ。
***
雀荘の店主に頼まれた代打ち
雀ゴロモドキとの差し馬勝負。
自分も似たようなものだが
今回の相手のような質の悪いすれっからしと同じにされてはたまらない。
見え見えのサマをツモるときにすり替えて逃れる
お返しにと自分のロンパイを山に送り込む。
なんだか今日は、頭で考えるよりも先に体が勝手に動ていく
じゃらり・・・!
「それです、ロン」
『なっ・・・なにぃっ!!!』
「三暗、トイトイ、タンヤオ、ドラ3、 親倍です。」
『て・・・てめぇ、・・・ふざけるんじゃぁねぇぞぉ・・・?』
相手が何か吠えていたがまったく気にならなかった。
それよりもこの雀荘の隅でさっきから感じる、こっちをジッと見つめる視線に緊張が走る
次の半荘に入ろうとするときにそこからカチリと音がした。
それから、ふうっと煙を吐き出す音も・・・
(クククッ・・・やるじゃねえか、ひろ・・・)
そんな声が聞こえた気がした。
***
次の半荘で相手が意地を見せる
向かえた南三局、相手の雀ゴロがひろと点差を離してトップ
配牌も良く、早くもテンパッた・・・がっ・・・
「ロン!!」
『ぐっ・・・なにぃ!!?』
「タンヤオ、イーペーコー、ドラ1・・・裏ドラが乗ってドラ2、満願、逆転ですね。」
その言葉に男の視界がぐにゃりと歪んだ気がした。
相手の雀士はゆったりした動作で眼鏡を拭くと
腕を組んで涼しい顔付きでトドメの言葉をはき出した。
「あんた・・・勝ち目が見えたと思ったろ」
その言葉を切っ掛けに相手の捨て牌の妙に気がつく
そう・・・ヤツは自分の希望を切らずに手のひらで遊ばせていたのだ。
ゾッと背筋を冷や汗が伝う
鋭い眼光が不敵にわらった。
「だから・・・あんた・・・・もう一勝もできねえんだよ」
***
帰り道、とっぷり日の暮れた繁華街
ネオン街の喧噪に混じって確かに聞こえる自分のひとつ増えた足音。
それをひろゆきは確認すると、こじんまりとしたバーに入り込む
程よく静かで程よく暗い
きっとあの人も気に入ってくれるだろう
隅のカウンターに席をひとつあけて、カミュのナポレオンをボトルで入れる
もちろんロックアイスを入れたグラスも2つ頼む。
マスターはちょっと不思議な顔をしたけれど、黙って用意をしてくれた。
(ずいぶん豪勢じゃねえか、ひろ)
聞こえてきた声に苦笑しながら隣の席のグラスを満たす。
「ええ。今日はオーナーからの謝礼の他にサシ馬も握ってましたから」
そう、今日の相手は自分が入るのをごねて直接差し馬を握れと言い出した。
終わって見れば圧勝で、今ひろゆきのサイフはほくほくだ。
「だから赤木さん、今日ついて来たんでしょう?・・・100万払えなきゃ指一本その場で落とすってヤツ。・・・心配でした?」
自分のグラスにもブランデーを注いでゆっくりと薫りを味わった。
疲れた体にじんわりと染みこむ感じがする。
「俺、そんなに頼りなさそうに見えますか?・・・・あの時の裏ドラ乗せたのも、あれ、赤木さんでしょ?」
横を向くと赤木がクククッ・・・と可笑しそうに笑ってからタバコに火を付けた。
相変わらずの白髪と派手なシャツとスーツだが、顔や体つきはひろゆきが知っている頃よりもだいぶ若い。
だが雰囲気や言葉遣いは、紛う事なきひろのよく知る赤木そのものだった。
(しらねえなぁ・・・、しかし井川クンも物騒だねえ。指が惜しくは無いのかい?)
赤木さんがふーーーと煙を上に吐き出してから、こちらを真っ直ぐな眼差しで見つめた。
彼の眼差しは、冷たくて透き通った神聖な湖を連想させる。
その瞳が自分はとても好きだった。
その全てを見透かしてしまうような視線に、
つねに自分は真っ直ぐで有り続けようと思った若かりし時を思い出す。
「赤木さんがそれを言うんですか・・・・?聞きましたよ、僧我さんや原田さんから色々と」
(・・・・・・まあな・・。)
「それに、あいつのアレはブラフです。じゃなきゃ100万なんてどうにかなるような金額、出してこないでしょ。
あれは自分が負けたときにも払えるようにの安全です。つまり誰も指なんかを欲しがらないと高を括っている。
事実、ヤツは手持ちで80も持ち歩いてた訳だし・・・」
(・・・で、ひろは80万で許してやったのか。・・・ククク・・ひろはやさしいなぁ・・)
「・・・え?でもあいつあれ以上ホントに持ってませんでしたよ?赤木さんは違うんですか??」
赤木さんはちょっと驚いた顔をしたあと、タバコで一息入れてから ”さあな”と答えた。
そして、ひろはひろで、俺は俺だろ?と笑った。
俺もそうですね、と笑ってそれから色々な事を話す。
いつしか時間はゆったりと過ぎていき、やがて心地よいまどろみが2人を包んだ頃
ひろがぽつりと言葉を洩らした
「貴方に触れたいです。赤木さん」
それに赤木は そりゃあ無理だわ と笑った。
(ひろ、お前が俺を思い出す限り、俺はお前と共にある。・・・・なくならねぇんだ。命ってヤツは)
でも・・・・っでも・・・・っ
(だから、・・まあ・・これでガマンしてくれや・・・・じゃあ、もう行かなくちゃ・・・)
まって!・・・・だって、赤木さんっ!!
(じゃあな・・・ひろっ・・・)
その時、一陣の風が自分を通り抜けたかと思ったのだが
カランッという音に我に返ると、そこはさっきまでいたバーだった。
だが、隣には赤木の姿はもう見えない。
あるのは結露を作ったブランデーのグラスだけで、中身は少しも減っていない。
先程の音もこれの氷が溶けて作った音だろう。
「もう、いっつも勝手なんだから・・・」
そうごちて自分の少し薄まってしまったグラスをぐいっと空ける。
それからテーブルに突っ伏して誰にも聞こえないように呟いた。
「でも、寂しいんですよ。・・・貴方に触れられなくて・・・・すごく寂しいんです・・・」
その呟きに答えるかのように、隣のグラスがもう一度カランと鳴いた。
まるで赤木が笑っているかのようだった。
END